佐賀県白石町の西部、杵島山麓の川津地区にある縫ノ池に40年ぶりに湧き水が戻ってきました。
川津地区のほぼ中央に、約800年の歴史を持つ面積6,000平方メートルの池、縫ノ池があり、その中に地域の人々が信仰を寄せている厳島神社(通称弁財天)があります。
この地区に滾々と湧き出る清水は、杵島山麓一帯に見られる美しい光景の一つでした、その中でも最も大きいといわれた川津地区の湧泉「縫ノ池」は昭和33年遂に干しあがり、その後、長年美しい池の景観は見られなくなってしまいました。
 
   
復活する前の縫ノ池 池の底は地割れが
それまでは、野菜の洗い場であり、ハヤやシジミが採れ、夏の暑い日は子ども達の泳ぎ場でありました。また、下流一帯の灌漑用水としても貴重な存在であり、景観も境内に繁る老松が澄んだ池の水に映える素晴らしいものでありました。
湧水枯渇の原因は、穀倉地帯白石平野に灌漑用水の不足で、水路や溜め池貯水量の不足を補うため、応急対策として考えられたのが地下水利用のための深井戸による地下水汲み上げでした。昭和30年代前半、灌漑用の深井戸の数が急激に増え、白石平野旧3町で約150基程の揚水場が出来ました。
かくして、白石平野は県内屈指の米産地となりました。
また、町内の飲料水も地下水に頼ったため、余りにも急激な地下水の汲み上げにより、地下水が不足し自然湧水は枯れ、池底には、乾燥で亀裂が発生し、問題の広域的地盤沈下を生む結果となりました。
この当時の揚水量は年間600万㎥であり、平成6年の大旱魃時は約2000万㎥の揚水量となり、地盤沈下も累計で最大1.2mとなり建物や農地に被害が発生することになりました。

現在、縫ノ池の入り口に立っている天明6年(1786)建立の鳥居には「弁財天」とありますが、以前の鳥居(安永6年~1777)には「厳島神社」でした。
「厳島神社」とは広島県厳島神社と同系統のものであり、祭神は市杵嶋姫命で、海辺の住民独特の祭神であります。神社の作りも神社の下まで水が入ってくるようになっており、以前はお堂の上から魚の泳ぐ姿を見ることが出来ました。しかし、地下水汲み上げの影響で池周囲が地盤沈下をおこしお堂の下までは水が来なくなってしまいました。今までは、海岸と縁遠いと思われる須古地区に、海の守り神が祀られていることは、古代白石と海との関係が深かったことが窺えます。

湧水の復活
40年を経過した平成13年4月、飲料水を佐賀導水事業の佐賀西部広域水道企業団によって表流水に転換した直後から厳島神社の周囲から湧水が出始めました。
神社右側の「清水池」にも湧水が溜まり始め、透き通った冷たい綺麗な水であり、地区の人達から「清水池」の整備と湧水の汲みやすい施設を作ろうという声が上がり、それは直ちに実行に移され、同時に湧水の飲料水水質基準への適合検査も行われました。
その検査の結果は「飲料水に適合」となりました。また、整備された「清水池」には誰が持ち込んだかコイやフナが気持ちよさそうに泳いでいます。

おいしい水の要件に適合
縫ノ池湧水 おいしい水の基準
蒸発残留物 157 30~200(mg/L)
硬度Ca,Mg 47 10~100(mg/L)
遊離炭酸 1.7 3~30(mg/L)
有機物等 0.4 3(mg/L)以下
臭気強度 1未満 3以下
残留塩素 0 0.4(mg/L)以下
水  温 18.6℃ 20℃以下

縫ノ池に飲み水に使える湧水が出たことは、新聞や口伝えに伝わり、地区に人はもちろん、町内外から湧水汲みの人は絶えません。
現在の湧水量は1.2リットル/秒で1日100,000リットル、これは1ヶ所の汲みとり口からの湧水量であり、湧水はまだ池の数ヶ所から出ており、全量を推測すれば、これの倍の200,000リットルにはなるものと思われます。
現在、池には透き通った綺麗な水が溜まり、フナやハヤが泳ぎ40年前の美しい姿が戻ってきました。
こんこんと湧出る名水 金妙水 水汲みの様子
 夏の縫ノ池
  冬の朝
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